山崎政三郎は刷毛製作の技術習得のため、 大正四年二月に妻と共に刷毛製作の本拠と言うべき大阪に出ました。

住込見習徒弟として入所しましたが、一日も早く、最短の年月で覚えるため、 秘伝の技術を分担して覚え、朝夕時間外遅くまで居残り苦心すること三年にして技術習得し、故郷甚目寺に帰りました。

故郷に帰った山崎夫妻は、苦心習得した刷毛生産技術を広め後進の育成に専念しました。 従事した処工場はますます興隆し子弟の中には優秀な青年の研究者も相次いで生まれ商才に長けて独立経営する人も増え、 取引は全国に亘り刷毛工業は村を挙げての盛況振りを見せました。

昭和4年 全国府県別刷毛生産額

産地名 企業数 数量(本) 価格(円)
大阪 40 60,557 59,889
東京 11 45,100 68,416
愛知 6 36,384 37,027
広島 1 2,360 3,755
京都 2 14,534 45,262
兵庫 1 4,900 2,227
その他 12 42,610 36,841
上記の昭和4年商工省調査による刷毛の生産額をみると昭和初期にはすでに全国の3大産地にまで成長してきた事が分かる。 そして、第二次大戦後特に、農家の過剰労働力を利用する形で、ますます別家開業する職人が増え、 昭和40年には100社を超える企業数を数え、大阪の50社、東京の30社に対し全国一の企業数を数え、 生産額でも全国の30%を占めるまでに成長しました。 その後他産地と較べて著しく増加し、昭和48年には甚目寺町の刷毛生産高は全国の7割を 占め、年間取引額十五億円超、従事する人員七百五十名、同商工業者百五十余を数え、 刷毛王国と呼ばれるほどの一大産地を形成しました。 その後、ホームセンターの出現とともに、中国製品の輸入増加が進みましたが、国内生産量では昭和48年以来ずっと、日本一を誇り続けています。 現在、組合所属の刷毛屋さんは、あま市で32軒になってしまいましたが、刷毛生産高は平成28年業界推定で250万本で、国内生産量のおよそ六割を占めています。 そんな中で、あま市の刷毛屋さんでは、鋳物刷毛、友禅染などの染色刷毛、うるしカシュー刷毛、和紙刷毛、提灯刷毛、人形刷毛など、全国で数件しか作っていない刷毛を作っている職人さんもいます。 また、刷毛作りのノウハウを生かし、工業用の刷毛を作っている職人さんもいます。 また、前アメリカ大統領オバマさんを安倍総理大臣が招待したという「数寄屋橋次郎」という有名な寿司屋さんご愛用のはけをつくっているのも、あま市の刷毛屋さんです。 特に、料理用の刷毛に関しては国内生産のおよそ8割以上の生産を誇っているのです。今や、東京大阪の刷毛屋さんでの刷毛生産が出来なくなりつつあり、あま市の刷毛屋さんがなくなると、日本の伝統産業をはじめ、工場ラインを支えることができなくなることがあるかもしれません。


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